絶対に負けられない闘い 〜悪性リンパ腫 闘病記〜
病気なんか自分には遠い存在と勝手に思い込み...バリバリ仕事をして、休日はゴルフとキャンプを楽しんでいた45歳の自分。悪性リンパ腫と診断され、抗がん剤、手術、転移、骨髄移植、必死に病気と闘う闘病記です。



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座右の銘って言うのかな

2011/12/30 20:51



今日は連日のハードスケジュールでちょっと疲れてしまったこともあり、
家でゆっくり過ごしました。

明日は大晦日、今年もあと2日ですね。



今日は、座右の銘って言うのかわからないけど、その話を書きます。

私は、座右の銘など、特にかっこいいものはないのですが、
その代わり徳川家康の家訓を諳んじています。
そして、そうあるべきだと常々思っています。


ご存知の方も多いと思いますが、紹介します。


◆◆◆『徳川家康の家訓』◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、                       

勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。

己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
まさしく、忍耐強い『徳川家康』らしい重みのある言葉です。

不自由を常と思えば不足なし、
心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。

今まで、これは漠然と物欲的なものとしてとらえていました。
最近気がついたのですが、もっと奥深い意味があるような気がします。
家康の今川家での人質時代、常に監視され、常に命の危機を感じていたと思います。
何か間違いがあり、今川義元に首を切れと言われるかも知れませんし、
家臣が裏切るようなことがあれば、見せしめに首をはねられる。
そう考えると、命の危機はあっても闘病生活のほうが楽かも知れません。
そうすると、この言葉が全く違ったものとして感じられます。
人質時代の不自由を思えば、耐えられない不自由など存在しないのでしょう。
それが、本当の家康の姿なのかも知れません。
病気をしてあらためて気づかされました。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、
わかってはいるのですが、なかなかその域までは達することができません。

勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。
これには多くの似たような言葉があります。現代でも全く同じでしょう。
「勝って兜の緒を締めよ」これも家康が関が原の戦いの後に言ったと言われています。

己を責めて、人を責めるな
人間は成長し、向上するために生まれてきているような気がします。
全ての人の成長、向上は、この一つができるかできないかで
大きな違いがあるように思います。

及ばざるは過ぎたるより勝れリ』私にとって特に難しいのは、この最後の部分。
及ばないとことは過ぎたることよりいいんだよという簡単なことなのですが、
性格上とことこんまでやってしまうこの性格...なかなか難しいいです。




子供のころから歴史好きで、読む本は歴史上の人物の伝記や歴史小説などばかり。
やはり、司馬遼太郎が一番好きで、ほとんど全部読みました。
「竜馬がゆく」などは30回は読んでいるでしょう(笑)。

戦国時代で好きな人物は、と言われると、
ご他聞にもれず、子供の頃は「織田信長」です。
それが、大学頃から20代くらいは「豊臣秀吉」に変わり、
30代半ばくらいから「徳川家康」に変わりました。今でもそのままです。

以前は、狸おやじ的な「徳川家康」はきらいな部類で、
暗く狡賢い感じがして嫌でした。
それが、人生の半ばを過ぎたあたりから、見え方が変わり、
狡賢さは、変わらない強さ、暗さは、我慢強さの裏返しのように見えてきて、
「徳川家康」の忍耐強さ、我慢強さ、決して焦らない強さみたいなものに魅了され、
家訓まで諳んじるほどに...

家康の家訓には現代でも通用する真理がある気がします。

子供のころから人質になり、生命の危険を常に感じ、独り立ちしたと思ったら、
武田信玄の圧力が大きくなり、常に厳しい戦いを強いられ、
更に、奥さんと長男を「織田信長」の命令で殺すこともいとわず、
それでも「織田信長」を裏切ることなく、天下統一に大きな力添えをし、
豊臣秀吉の台頭にもうまく立ち回って、最後には協力を誓い、
協力するとなったらとことん中に入り込み、関が原の戦い、幕府開設、大阪の陣となる。

一貫してぶれない生き方がそこにはあります。
信康の自害と大阪の陣、この時の暗さはどうしても払拭できませんが、
大阪の陣は、2代将軍秀忠が大御所の名前を利用して、
汚い仕事をしたともとれるし・・・。

いずれにしても、自分自身が若い頃から耐える生き方をしているせいでしょうか、
時代は大きく違えど、その我慢強い生き様、生き方に、私は共感、共鳴します。


「徳川家康の家訓」には、
そんな「徳川家康」の考え方や生き方が色濃く出ていています。


病気になって、あらためて違うことを教えてくれたり、
本当に力をくれる言葉です。


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